ここは浅瀬です。

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桜の下にて(もののふ白き虎雑感)

国内歴史ジャンルを拗らせたことが今までほとんどなく、オタクなら大体一度は通りそうな新撰組も大河の三谷新撰組しか知らないくらい疎い人間でした。
それが昨年上演の舞台「もののふ白き虎」ですとーんと落ちてしまって、今部屋に歴史小説が積み上がっている有り様。前述の通り日本史に本当に明るくないので平行して突貫で歴史を叩き込んでいる状態です。

もののふ白き虎」は構造としては明治の世に生き残った白虎隊の飯沼貞吉新撰組斎藤一が杯を交わしながら昔語りをする、というお話です。
自分だけが生き残ったことにわだかまりのある貞吉と、貞吉に伝えなければならない「何か」を隠している斎藤。
貞吉の回想の中、会津の藩校日新館に通う子ども達が白虎隊として編成され、それはそうと夢を語ったり恋をしたり、でも戦争が次第に会津へ迫ってくる…。

舞台DVDがもうじき出るのでご覧いただくのが一番手っ取り早いと思うのです。
お話もとても突き刺さるもので大好きなのですが、同じくらいお勧めしたいのが殺陣。
とにかく動ける子が揃っていて殺陣がものすごいです。



内通者がいたり、新撰組会津にいる時期がどうも合わなかったりと、作中では必ずしも展開が史実通りに進むわけではないのですが、大まかな尺は添うでしょう。
時間軸を照らし合わせているとき、ふと気になったのが、作中の台詞「またあるその日を信じてる」です。

ここでまず時間経過の話ですが、作中で季節が分かる描写は二回あります。
一幕、篠田儀三郎が幼なじみの少女かなえを「石部桜、見に行かないか」と誘う流れがあります。
会津の桜の開花は四月下旬~五月上旬だそうなので、おおよそその頃の出来事でしょう。
二幕の冒頭、貞吉からの手紙を読む母のシーンの入りは夕暮れ(赤いライティングがとても印象的)、ひぐらしがせわしなく鳴いています。ひぐらしは六月下旬~九月ですが季語としては秋なのでSEとして使う際のニュアンスは九月に近いかなあと思っています。

会津戦争は旧暦四月~九月、グレゴリオ暦では六月~十一月の出来事です。
桜の時期はまだ会津はそれなりに平和な時期、ひぐらしの時期は既に戦争が激化しゆく頃です。

白虎隊の話が来て、編成が決まって、でもまだ戦争は会津からは遠い時期。女と言葉を交わしてはならないという白虎隊の決まりを破って、儀三郎はかなえと夜更けに会っていました。
この二人、お互いにお互いのことが好きで、でもそこ止まり。儀三郎は好きだと言えないんですが、かなえはそれを知っている。
石部桜を見に行こう、に対するかなえのリアクションは日替わりでしたが何度か儀三郎とハモって「石部桜、」と言う回がありました。子供の頃からそこは親しみやすい場所だったのか、今で言うデートスポットなのか…。
でも一幕ラストで会津戦争の開戦が告げられる。そして儀三郎は二幕、「会うのは今日が最後にしよう」とかなえに告げるのです。
敗戦の色が濃くなって行く中の決断でした。生きて彼女を幸せにするのが難しいことを彼は察していました。好きだから、幸せになってほしいから自分以外の誰かと、と儀三郎は笑います。
「またあるその日を信じてる」、は最後にかなえが告げて去っていく台詞です。

この後、会津城下戦になり、つまるところ敗戦間近。
仲間が一人一人減っていく中、儀三郎は一人死体の散らばる会津を歩いて、その中にかなえを見つけてしまう。
会津戦争は略奪や婦女子への暴行が多く見られたようです。白虎隊の育ての親として作中に出てくる西郷頼母の妻や娘たちも、そういった目に遭う前に、と全員自害をした。
この時見つけられたかなえの着物の合わせは乱れて、足も裸足でした。きっとそういうことなのでしょう。
またあるその日は、果たされなかった。自分が死ぬことは覚悟していた儀三郎が予想していなかった、彼女の死でした。
「俺だって、信じていたんだ」
慟哭して、そして儀三郎は彼女の傍らで腹を切ってしまう。死に行く意識の中で彼は夢を見ます。かなえに好きだということを伝えて(実際にはかなえに言い当てられるので言えてはないんですが)、かなえが笑って、腕をとって自分を抱き締めさせて。
でも実際には、腹を切った彼はその場で手を伸ばして、手は近くに座らせた彼女に伸ばしたけれど、届かないままに落ちるのです。
あの夢は、夢なのです。決して叶わなかったいつかの未来の夢。


白虎隊自刃の日はグレゴリオ暦10月8日。北国では秋も次第に深まってきた頃でしょうか。次の春を揃って迎えられないのは、いつからかみんな気づいていた。
かなえの信じた「またあるその日」は、石部桜を一緒に見に行く日だったのだと思います。来年の春を願っただけの、とても小さな祈り。
でも彼らの上に春は二度と来なかったのです。

その日から十四年、貞吉はずっと苦しみながら生きていました。自分一人だけ残ってしまったこと、自分を生かして親友の、そしてずっと憧れていた悌次郎が自分を生かして代わりに死んでしまったこと。
そんな彼の悔恨を解きに、斎藤一はやってきたのです。
貞吉の苦しみは、彼に預けられた悌次郎の願いが彼に届けられることで解けました。その時再び、彼らの頭上から桜の花びらが散りはじめるのです。
そしてその中に、貞吉は白虎隊の面々を見る。

貞吉は十四年、長い冬の中にいたのだと思います。雪国の冬は長くて暗い。押し込められるような季節の中で長い間ずっと凍えてきました。
それは同時に負けた会津藩が新政府から受けた苦しみでもあります。不毛の地だった斗南に流され、餓えと寒さに死んでいった会津藩の人々が多くいたそうです。斎藤一もまた一会津藩士としてその中にあったと言われています。
彼もまた長い冬の時代を潜り抜けて、冬の終わりをもたらしに訪れた。

斎藤に託された悌次郎の言葉でようやく貞吉の冬が終わり、桜が舞い散る下であの日死んでいった白虎隊の面々が笑い合う。
いつの公演かちょっと定かでないのですが、儀三郎が茂太郎に「この桜、何て言うか知ってるか」と問いかけた回があります。
「石部桜って言うんだ」
またあるその日は、この世では叶わなかったけれど。貞吉がその夢を目にしたことは、彼のその後の長い人生にとって幸福だったと信じています。

ところでこの春の光景には、新撰組の二人はどちらもいません。
貞吉が見た夢なので、というのもあるかもしれません。白虎隊の憧れであった新撰組は、遥か高みを見上げるような存在でした。
だけれど土方歳三の背中に憧れたのは白虎隊だけではありません。斎藤はもしかしたら彼等よりも強く、憧れて、その背中を追いかけていた。
憧れの人に遺されたのは斎藤も同じです。

作中、貞吉が救われる一方で、斎藤にカタルシスの瞬間はありません。
傷がない訳ではないのです。何故ならば貞吉ー悌次郎と斎藤ー土方の構図が同じだからです。
お前は生きろと言い残して、憧れであった人が死んでしまう。その最期を消化できず、生傷のように抱え込んで生きている。
貞吉は悌次郎のことを神格化していました。彼の回想において悌次郎はいつも超然としている。斎藤の語る悌次郎はもっと年相応の、少年らしい顔をしています。
「憧れて、嫉妬していたのは俺の方です」
悌次郎も普通の少年だった。
その神格化の覆いを取って、悌次郎の本当の部分を貞吉に見せつけたことで、貞吉はカタルシスを得るのです。
斎藤にカタルシスをもたらした人はいるのでしょうか。
土方は五稜郭で華々しく散りゆきます。彼の存在を殊更に新政府が嫌ったのは彼が、代々農民の血筋の男が武士道をこの上なく体現してしまったからだ、という話を読みました。
彼はひとつの神様に、望んでなったのです。明治の世を生きる14年後の斎藤に、その様はいったいどう映ったのか。
貞吉のような穏やかな夢を斎藤に見られようか。
貞吉の傷を毎公演ごとに癒す一方で斎藤の傷はいつも生々しいままです。

もののふ白き虎、大阪千秋楽では台詞の変更がかなりありました。演出の西田さんの采配で、こういうの結構やってると聞きました。なんと恐ろしいことを。
死にゆく土方の言葉を斎藤が反復するシーン、この回演出変更がありました。
鉄砲の音が響き渡る最期の戦いへ歩いていく土方の背を、いつもは顔を伏せて、斎藤は見ません。でもその日、彼は土方を見ていた。
「土方さん、ありがとうございました」
拳を床につき、深く頭を下げて、その死出の背中をずっと送っていた。
斎藤は生傷をずっと抱えて生きていくのだろうと、その日思いました。
似ているけれど、貞吉と斎藤はどうしたって違う。
浄化なんか要らないのか。生々しいその傷の痛みこそが一人の人間の記憶なのかもしれません。

新撰組の面々が貞吉の夢にいないのは当然で、彼らの「その日」は別の場所なのです。
もし同じ春だとしても、石部桜とは別の花が散る場所。それが京都なのか、多摩なのかは分かりませんが。

白虎隊の憧れの人として現れる土方と斎藤は、どうしたって偶像的です。
等身大の新撰組の物語も観たくてならない。いつかやってくれないかなあ。