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2015TRUMP印象の話: ソフィとウル、ラファエロとアンジェリコ

2015TRUMPについて、感想と印象と考えたこと(※妄想)の話。ひっくるめて印象トーク
脈絡がありません。

※観劇:T7(全通)R4(21,23,28,5)M1(26)


ソフィとウル

Tソフィはとても気高い子どもでした。
養護院育ち、というソフィのバックボーンはSPECTERで判明し今回反映されているわけですが、その環境で育った子どもが主人公になるならそうあるだろうな、という反骨精神と自尊心に満ちていた。自分を卑下するヴァンプに対してまっすぐ睨み返すのがなんとも彼らしさです。
ヤマアラシのような生き方だと思います。刺をまとった孤独。
Tソフィについては正統派主人公タイプだなあという感覚が大分ありまして、でもその強がりがどことなく子どもらしく、視野が狭い。
少年の不安定さが色濃く出ていたのは「これもみんな繭期のせいだ、」という彼の独り言でした。言い訳のような声音だと思った。彼はそうでない可能性が怖かったのかもしれない、自分の弱さや脆さを決して飲み込めない。
良くも悪くも自分の獲得した経験や知識、感覚だけを支えに立っている。まさに孤独で気高いとウルが評したそのままです。
でもそれは何も持っていないからの強さであり、無自覚に他人を傷つける刺だった。
「君は死ぬのが怖くないのか?」
多分怖くなかったのでしょう、彼は。

一方Tウルは若干不良めいた、柄の悪めな少年だったので当初びっくりしました。手が早くてちょっと荒れている、でも読書が一番の心の慰めというナイーブな素を持つギャップ萌えの塊。
言うなれば放蕩息子、貴族の次男としてはなくもないスタイルです。
ソフィをたった一人の親友と見て、他の生徒にどこかうんざりしているような雰囲気は、ソフィの孤高の姿とどことなくアンバランス。
ウルの厭世感は自分の運命の重さと他人の無理解によるのでしょう。その重荷の最たるものがデリコの名であり、地下書庫で彼は窮屈なフリルの襟元を何度となく引っ張って緩めようとしていました。
耐え難い息苦しさと、抑圧されたものの爆発の激しさ。
Tウルはとてもさみしそうな子どもです。書庫でソフィが共に永遠に、の誘いを断ったときの彼の声音は迷子のようだった。「かわいい女の子をたくさんだ…」はどこかネジの外れたようで、このTの後に来るだろうLILIUMを作ったのは彼のような気がしたのです、独りで数百年を生きたソフィではなく、10代の彼が。それくらいに果てしないさみしさを抱えていた。

ヤマアラシのようなソフィの強さをウルが羨ましいのは本当に切実でした。ウルはそんな風には絶対に生きられない、からこそソフィに憧れて、彼と友達になりたかった。
一方のソフィはその後の長い、長い時間で漸くウルのさみしさに追いつくのでしょう。そしてその時彼の言葉を代わりに果たす。かわいい女の子をたくさん。
LILIUMに至る道筋が透けて見えたようなペアです。


一方Rのソフィとウルは、とても強さを欠いたペアでした。

Rソフィの仕草で目につくのは体の正面で手をぎゅっと握り合わせる、というものです。何かを堪えるように、あるいは何かを庇うようにしきりに手は握り合わされる。モブ生徒に反論するとき、ソフィは彼らの方を見ませんでした。
目をそらして、背を向けて、手を握り合わせる。それが彼の本質なのではないでしょうか。
傷つきやすいナイーブさの結晶のような子どもです。何事もないふりをしているけれど、その内側に沢山傷を抱え込んでいる。彼はヤマアラシのようには生きられないのです、それは多分彼が寂しがりで、孤高であることに耐えられないからなのでしょう。その育ちによって彼が強めたのは尖った自尊心ではなく認められることへの枯渇でした。
「これもみんな繭期のせいだ」は、彼の場合恐れでした。自分の中に親友のウルを非難するだけの怒りがあることが恐ろしかった。ウルを傷つけてしまったかもしれないことが恐ろしかった。
彼はとても優しいのかもしれません、あるいは優柔不断なのかも分からない。Tソフィのばっさりとした拒絶と違い、ウルに対してもどことなくウェットな感覚がある。彼が自分を傷つけていることに対してもはっきり言うことができず、「君にも立場がある」と許してしまう。
友達なんか要らないよ、は自分への言い訳なのではないでしょうか。友達がいなくたって平気だという呪文。彼の雰囲気はどことなく、いじめられっ子的なもののような気がしました。
友達は要らないのではなく、いなかったのではないでしょうか。

Rソフィをいじめられっ子とするならRウルは傍観者です。八方美人で、ソフィを否定するヴァンプ達に対してもいい顔をしようとする。実際いたら絶対友達になりたくないタイプ。二人のバランスはものすごく完成されていたと思います、恐ろしく歪んだバランスでしたが。
ウルがそうであったのは彼の秘密が発端だと思いました。
一幕の、まだ容態が安定している彼は道化を演じているようでした。みんなにいい顔をして、芝居がかった振る舞いで笑いを誘って、その全てが嘘くさい。でもそれはデリコのために彼が隠さなければならなかった秘密を覆い隠すための芝居だったのではないでしょうか。
Tウルは限りなく反抗期的でしたが、Rウルは反抗期を多分知らないのです。ラファエロに手を引かれて歩いている時の「痛いよ兄さん、放せよ」が、もうものすごく甘ったれた声をしているんですよ…。彼は家族に愛されているし、それを分かっているし、ずっと愛されていたい。家族に関する比重がかなり大きい、けれど一方で秘密が露呈すればその全てを失ってしまいかねないという恐怖に苛まれている。
家族にすがり付こうとする一方で、彼がソフィに惹かれるのは彼だけには嘘をつかなくてもいいのかもしれないというところが大きかったように思います。

寂しがりの臆病者、がこの二人だったのだと思います。
友達のいなかったソフィはウルが隣にいることに上手く慣れられず、嘘で塗り固めたウルはその嘘でソフィが傷ついていてもそれを剥がすことができなかった。
さみしいソフィとヤマアラシのウル。ものすごくTの裏側だなあと思います。
RソフィについてはLILIUMに至らないのだろうなあという気がしていて、それは彼の優しさと臆病さによると思うのです。生まれ変わって3000年生きても、きっと彼はヤマアラシにはなれなかった。


ラファエロとアンジェリコ


Tウルの孤独について、彼を追い詰めた要因の大きな一つはきっとラファエロだったのです。
Tラファエロは山本さんが「ロボットのような」と評した通り表に感情がものすごく出てこない、ばかりではなく内面の感情の動きがうすいように思えました。もっとも私の感じた印象はロボットというよりサバンナのライオンなんですが、どちらにしても人間的ではない。
父から積み上げられた使命感を、義務を背負うためにそう育ったのでしょう。そしてそれを苦痛とも重荷とも思っていない。それは当たり前であったからなのだと思っています。ノブレスオブリージュという単語がまだ出てこないのが不思議なくらい(出てないよね?初演再演は観られていないのですが)TRUMP社会って封建的で、身分制度がものすごく重くて厳しい。家長のダリ卿が命じたことはラファエロにとって法律より重いのです。
彼は果てしなく貴族的な男でした、
ラファエロはとても強く、正しく、厳しい男であって、多分ヴァンプはこうあるべきという理想の姿だったのでしょう。その強さや正しさや厳しさがウルを追い詰めることに、でも彼は気づかない。
兄は分かってくれないーーというより分かってくれなくなった。拒絶と断絶が二人の間にはあります。ラファエロとウルの会話は会話ではなくて命令と受容(あるいは拒否)で形成されている印象がありました。
そして最期の時、ラファエロは誰を見ることもなく天を仰ぐようにして死んでいく。

ラファエロは多分以前はそうではなかった、のだと思っています。これはどのタイプのラファエロもそうなのですが、彼は変質した。
それを察するのはアンジェリコからです。

前回のTRUMPから関連作品が増え、今回追加台詞や演出変更もあったことでかなり印象の変わったキャラクターが多かったのですが、とりわけ衝撃が強かったのがラファエロ/アンジェリコ
D2版の感覚ではアンジェリコラファエロに対する感情は嫉妬と羨望と憎しみだと思っていたんですよね漠然と。
NU版、二人がかつてとてもよい友達だったことを初めて突きつけられて愕然としました。かつて夢を語り合い共に同じ未来を目指した過去が彼等にはあった。
アンジェリコの「親友として」という言葉は本当だったのです、少なくともある時期は。

Tアンジェリコラファエロとは別の意味で貴族的な少年でした。自分のために人が何かをするのは当たり前。そこはもう息をするように当然なので傲慢だとかそういう感覚ですらありません。まさに別世界の人。彼の場合ジョルジュとモローは家臣であり従僕です。
多分田村さんの素の部分もあるんですが、全体的に雰囲気が上品で、それもあいまって浮世離れしている印象が強かったので、あまり小憎たらしい感じではなかったように思います。そういう意味ではLILIUMのプリンセスマーガレットに一番近いタイプのアンジェリコ…あくまでも本人にはあまり悪気はない。クズ連呼の回数クイズを当てたジョルジュに対する褒め方が犬を褒める仕草そのものでたまらないですねこの人。ジョルジュは何故まんざらでもない顔をしているんだ。
そんなアンジェリコ、NU版では冒頭はかなり正気に近いような印象を受けました。貴族らしい浮いてる感覚はあれど、他のアンジェリコより言葉が通じそうだなあと。あくまでもアンジェリコ内での比較なので五十歩百歩の域かもしれない。
ともあれスタートはそことして、アンジェリコの繭期の悪化は劇中で進んでいくんです。
いつも舞台発声の、唄うような声のアンジェリコですが、その声がひきつって崩れるのがラファエロの名を口にする時でした。逆にウルを呼ぶときは殊更に唄うような声でその名を口にする。ラファエロだけが彼にとって特殊。
その声色の揺らぎが他のところに浸食しはじめて、貴族の少年らしさが次第に繭期に呑まれていって、それが最も煮詰まった到達点がウルを刺した後の狂乱です。
ところがうず高く積み上がった狂気はジェンガが崩れるように一瞬で崩壊する。後に残ったアンジェリコは茫然と呟きますーー「死んじゃだめだったんだ」。
まるで夢から醒めてしまったかのようでした。それまでの「あいつを殺してくれたことには感謝してるよ」であれば、傷つくこともなく死んでいけたのでしょう。でも今回、アンジェリコの長い夢は突然醒めてしまった。

ラファエロとアンジェリコはそれぞれの家名と、その跡継ぎである重圧に、彼らなりにまっすぐ向き合っていたのでしょう。
貴族ぶらない、ということは権利の放棄であると同時に義務の放棄でもあります。それは卑怯だ。彼等の血肉には義務が課せられているのです。より恵まれた生活を彼等が与えられて育つのは、いずれそれだけの重荷を背負うためです。
今回、特にTの二人はあまりに真面目すぎた気がしました。壁にまともにぶつかって砕けてしまう、そんな雰囲気。
一番残酷なタイミングで夢から醒めてしまうアンジェリコはそんなふたりの友情のクライマックスに相応しい。


一方のRでは、二人はもう少し「なんとかなったのかもしれない」感覚がありました。

Rラファエロが、もう驚くほど優しい。
ジョルジュの芝居のくだりで刺されたラファエロに対する台詞がT「見かけによらず優しいんだな」R「優しいのも考えものだな」なんですが、もうこの言葉通りですね。
Tラファエロがロボットのようだった男が顔色を変える、のに対して、Rラファエロは常時誰にでも優しい。学級委員タイプ、なのでしょう。Rウルのことを八方美人と称しましたが、彼が影響を受けたとすれば確実に兄からでしょう。ただラファエロは弟よりももう少し不器用。道化ではなくあくまでも学級委員、誰からも敬意をもって遠ざけられるふるまい方です。
剣術試合準決勝でラファエロが負ける時、上手側でショックを受けて泣いている生徒がいるので、結構好かれているんだろうなあと。でも誰にでも優しくする、ということは誰も特別でないことと同意義になりかねない。そういう意味でやはりラファエロは孤高でした。
アンジェリコと違ってラファエロの声は滅多に揺らぎませんが、ダリ卿に「期待しているぞラファエロ」と言われる時、彼の声は引きつったようになるのが観ていてたまらなく可哀想だった。喉に引っ掛かったような、喉元を絞められるような声。
ロボットになれなかった彼に、デリコの名とその秘密は多分あまりに重すぎた。
Rラファエロの断末魔は「ウル…!」の一声です。炎に包まれながら弟の方に手を伸ばして、そうして死んでいく。
徹頭徹尾優しすぎてどうにもなれなかった人でした。

Rアンジェリコは、アンジェリコなのに親しみやすい…!という謎の衝撃が第一印象でした。ああいうの、いるよね、全国の小学校にいるよねたくさん。ジョルジュとモローが対等っぽいのがまた新鮮です。悪友というかバカ友というか…お育ちはいいんだろうけどマッドマックス見すぎ。貴族の義務とかそういうことは頭にはあるけどあまり重く考えていない雰囲気でした。
クズ連呼で自分の言った数が自分で分からない子なので「正解!」は彼の場合モローが言います。なるほど!って顔をするなアンジェリコ様。
ラファエロに目潰し食らった後のミケランジェロとの茶番劇がナチュラルにマザコンだったり、「バーリア!」だったりどうにも残念なんですけど憎めないタイプ。バカな子はかわいい。
でもその憎めないアンジェリコの狂乱の爆発力は恐ろしいんです。あれは多分山本さんの振り幅の振り切れ方がおっかない。
東京Mの一度だけなんですが「僕が殺したかったのn違ァう!!!!!!!」って絶叫したのがものすごく印象に強いです。
良くも悪くも感情が拗れていないというかダイレクトに出てくる感じでした。
「死んじゃだめだったんだ」も本当にただただ友人を悼む自然な空気で、その切り替えがいっそ怖かった。
彼の場合は夢から醒めたというより繭期で感情の起伏が不安定な印象でした。ずっと友人だと認識しているのにあっあいつ刺そう、って思っている。そのまま一連の流れで自分が刺させた男の死を悼んでる。
Rアンジェリコの断末魔は途中から「ラファエロォー!」になったんですが、これ最初はなかったので誰が変えようと言ったのか…。ちなみに一緒に燃えているジョルジュがTだとアンジェリコに手を伸ばすんですがRは特にそういうことはなく。
自分で見てはいないのですが東京楽Rでその後逃げ惑う生徒たちの中にアンジェリコを呼んでいる生徒がいたそうです。この人も多分結構みんなに好かれていたんじゃないかなあ。
その生徒がアンジェリコが死んだことを知らないまま彼を探して逃げ遅れて死んでしまうのではないか、ということが不安の種。

Rはラファエロがナイーブ優等生なのでアンジェリコがちょっとおバカで考えなしなのがすごくしっくり来て、この二人が親友、というのがすごく自然な空気感がありました。実はバランスがいいのですよね。
地下書庫の喧嘩もアンジェリコがそんなにピリピリしておらず、ラファエロが拳で来ないのもあってちょっとじゃれているような子どもの遊びのようでもありました。
少しこちらの二人の方が幼くて不器用なのかもしれない。
ラファエロもアンジェリコもTに比べて周囲とうまくいっているタイプで、それでもどうしても譲れない大切なものがある時その周囲が見えなくなってしまった。こんなに情が深くてナイーブな二人がいたことに衝撃を受けるばかりでした。

イニシアチヴによりラファエロが燃えている時、彼が消えるまでの間、照明はラファエロに絞られています。
この時TRともに、暗闇の中でアンジェリコラファエロに手を伸ばしているのです。再び照明が彼に当たる時そんな事実などなかったように手は下ろされている。

COCCONが観たいなあ、と思いながらずっとそれを観ていました。


本当の狂人は自分が狂っていることに気づかない

冒頭の老人の台詞を何度も聞きながら、それは誰の話なのか、を考えていました。

繭期だから仕方がない、という言い訳をするソフィ/ウルのふるまいは実はそれが原因ではない、という構図。ソフィがウルを突き飛ばしウルが死にたくないと喚くそれは彼等の一過性の状態によるものではなくて、ウルの宿命、ソフィの生まれ、そういったものによります。でもそれが狂乱であることに気付いているから繭期だから、という言い訳をする。
言い訳をする、というのは違和感や罪悪感や、そういったものを見ないふりをするための行為です。見ないふりをしている以上見えてはいるんだ…。
彼等は狂いきれなかったのだと、最後に二人が揉み合うシーンで感じました。

ラファエロとアンジェリコは老人の言う狂人だったのではないでしょうか。
箱庭たるクランが壊れていくのは二人の行いからなんですよね。「お友達」を作ったアンジェリコ、ソフィを噛んだラファエロ。それがなければTRUMPはその力を使うことはなく、ソフィはもしかしたらそのまま卒業していけたのかもしれない。崩壊の最初の引き金を引くのがこの二人なのは、彼等の繭期の状態がとりわけ芳しくなかったからでしょうか。
繭期のヴァンプは物事の判断が曖昧になる。彼等は自分の行動が正しいと信じていました。
自分が狂っていることに気付いたらそれは狂気の終わりの始まり、なのだそうです。

T↔Rの入れ替わりでラファエロであった人がウルであった人を蹴りつけながら「全部お前のせいだ、」と喚く構図が成立することがとても恐ろしいなあ、とずっと思っています。
それがもしラファエロの本心であったなら。
狂気の自覚のない二人は、自分自身の姿も見失っていたのではないか。それが裏返しの反対側に、いびつな形で現れたのではないか。

もしも彼等の繭期がちゃんと終わっていたらそこにいたのはどんな人だったのでしょうね。