ここは浅瀬です。

主にうわ言を述べる人のうわ言用ブログ

それは希望の花(マリーゴールド雑感)

※現地は週末までお預けです

 
映画館いっぱいに広がる不穏な音。なんとなく心臓が逸るような、背筋がざわざわするようなあの音を何と評したらいいのか分からなくて、ただ不穏だ、と思った。
マリーゴールドは不穏だった。
あらかじめLILIUMで知った名前、その名前に結びついたキャスト、あらかじめ予想された悲劇。
現在存在する作品の中で私はLILIUMが一番恐ろしいのだ。
 
なので思ったのです。
これは希望の物語だと。
 
LILIUMにおけるマリーゴールドという少女のことを私はかなり苦手だった。理解できなかったからだ。
まるで一滴の毒のように楽園を壊す不穏分子。マリーゴールドはスノウがリリーを不幸にすると言うけれど、私は彼女こそがその存在であると思っていた。一方的な愛着、相手を顧みない献身、破壊的行為。彼女がナイフを取った時に危ういバランスでようやく立っていた全てがドミノのように崩れだした。
その一方で不思議だったのだ。愛することも愛されることも許されないと語りながら、彼女が自分の愛に胸を張る少女であることが。彼女は卑屈でありながら、勇敢で、ある種英雄的だった。アンバランスな女の子。
 
ガーベラと、彼女を抱きしめるアナベルの姿がその根幹だと分かった時から無性にマリーゴールドが愛おしい。
母と娘の物語は、父と息子の物語であるグランギニョルよりも一層無力な世界を成していた。周囲を黙らせる権力も、剣を振るって叩きのめす力もない。屋敷の中に閉じ込め狭い箱庭を閉ざすしかできないか弱い手の織りなす物語。アナベルも、エリカも、ヘンルーダも、他のだれもが皆無力である
今までヴァンプ、あるいはダンピールの視点に立って世界を垣間見てきた私たちにとって初めてヴァンプと共存する人間の世界である。吸血種は、ヒトの側から見れば絶望的に恐ろしかった。幼さの残る少女ですらまたたく間に13人殺す。繭期の衝動は本人にさえコントロールできない。
それでもアナベルには愛おしいたった1人の娘である。いるかどうかも分からない神を追い求めるほどに。奇跡に縋るほどに。
 
クラウスに肩入れし続けているタイプの繭期なので原初信仰をずっと苦々しく思っている。彼等は勝手だ、TRUMPなる偶像に祭り上げてその中で悶え苦しむ個を踏みつける。グランギニョルで生贄たるスーがクラウスに似せた衣装を着せられているのが、かなり気味が悪かったものだ。神の代わりに仔羊を殺して死を疑似体験させてあげようだって?そんなことクラウスが望むと思うのか。
原初信仰を切なる祈りと感じたのは、初めてだった。おとぎ話に望みをかける他ないほどの深く哀しい無力な愛。その祈りが破滅を街に呼び込んでしまうとしても、アナベルの母の愛は、あまりに胸に迫った。
アナベルのたった一つの大きな愛情で、ガーベラは生きられた。
 
ガーベラは愛された女の子だったのだ。だからマリーゴールドは愛することを恐れない、愛の為になんだってできる。
希望と呼ばれた少女はあの日母とともに死んだと言うけれど、その愛はマリーゴールドの中で生きている。
 
マリーゴールドは絶望の花だ。それはアナベルとガーベラを殺した、ソフィ・アンダーソンに向けた毒の棘である。
2800年前、クラウスに永遠なんてくそ食らえだ、と言ったソフィが今度は自分を重ねたガーベラに同じ言葉を吐き捨てられる。罪に対する、罰である。
ソフィの業は、ガーベラの持つものを持たずに育ち来たことだ、と思った。同じダンピールでありながら、深く愛された少女と、愛を知らない少年。
LILIUM感謝祭で紫蘭と竜胆がファルスに向ける労わりめいた憐憫と愛情を見た。それでもソフィの見る悪夢の中で、紫蘭も竜胆もソフィを呪う。ソフィには、向けられた愛情を受け取ることができないのではないだろうか。いつかの昔、ウルの手をはねのけたように。
それは両親の祈りを知らないままに育った孤独な少年の逃れ得ぬ奈落だ。
寂しさのままに、ガーベラの意志さえ踏みにじって彼女を摘み取り自分の庭に植えたソフィは知らない。その絶望がいずれ美しい箱庭を滅ぼす綻びになることを。
 
だからこれは、希望の物語なのだ。
抗えない、神にも等しいものに押し付けられた楽園のような地獄さえ、か弱い愛が打ち壊す。
私が恐ろしいのはLILIUMの箱庭の息詰まる閉塞性なのだ。誰も自覚さえできないままに囚われて、逃げられない。親たちは誘拐された少年少女たちをどんなに探しただろう--それももう遠い昔の話、なのだ。
ユートピアの語源は「どこにもない」である。夢想しながら、決して手の届かない夢物語。幻の庭に閉じ込められる長い一瞬が地獄めいていればいるほど、マリーゴールドの結末は希望の誕生たる。
母と娘を引き剥がしたソフィ・アンダーソンの残酷は、巡り巡って彼から美しい花たちを引き剥がす。
甘き死よ来たれ。
ただひとり、ソフィを呪った少女を置き去りに。
リリーが第3の不死を得ることもまた、罪と罰を感じさせる。彼女はソフィを呪ってしまったからだ--かつてソフィがクラウスをそうしたように。リリーがクランを滅ぼすのは他の少女たちの意思を顧みない彼女の独善であり、ソフィの苦悩に対する不理解でもある。すべてを覚え、ファルスの孤独を見つめて生きていたスノウが選べなかった道へ踏み込んでしまった。
汚れない花のままなら、枯れて死ねただろうに。
 
呪とは、祈りを唱える口と、ひざまずく人を表す文字である。元々は祝と同じく、神に願うことを意味していた。
イニシアチブとは呪であるな、と文字の成り立ちを眺めていて思う。それは必ずしも「のろい」ではなく、「まじない」でもあるし、きっと「祝い」にもなり得る。
誰かの願いが、のろい、となった時、過ちの歌が響くのだろう。
 
マリーゴールドは匂いの強い花である。その香りを虫が嫌がるので、弱い植物の側に植えてその生育を助ける為に使われることがある。
コンパニオンプランツ。畑の医者、と。
屋敷の周りに植えられた沢山のマリーゴールドもまた、誰かの祈りだろうか。
 
花言葉は一つではない。絶望の花は、別れの花であり、友情の花であり、変わらぬ愛の花であり。
「生きる」。
それはなんと美しい呪いだろう。